京都竹材商業協同組合
![竹産業の未来を支える。](https://kyoto-takegumi.or.jp/wp/wp-content/themes/takezai/common/img/top/kv_sp.jpg)
代表理事あいさつ
![代表理事 横山 富男](https://kyoto-takegumi.or.jp/wp/wp-content/themes/takezai/common/img/top/photo.jpg?=20240131)
京都竹材商業協同組合
代表理事 横山 富男
京都竹組のホームページ開設にあたり、ご挨拶申し上げます。
昭和二十四年に中小企業等協同組合法が施工されたことから、
私達竹材業界の同志が結集し、
昭和二十九年に同法の趣旨「中小企業の相互扶助精神」に基づき、
京都竹材商業協同組合(京都竹組)が設立されました。
組合員は竹材管理、原竹伐採生産、京銘竹の一次、
二次生産加工、垣根等施工、竹工芸品製作等など
竹に関して幅広く仕事をしております。
竹のことについてはお客様には
十分に満足していただける会社が集まった組合です。
どうぞ日本のシンボル「京の竹」を
ご活用下さることお願い致します。
昭和二十四年に中小企業等協同組合法が施工されたことから、
私達竹材業界の同志が結集し、
昭和二十九年に同法の趣旨「中小企業の相互扶助精神」に基づき、
京都竹材商業協同組合(京都竹組)が設立されました。
組合員は竹材管理、原竹伐採生産、京銘竹の一次、
二次生産加工、垣根等施工、竹工芸品製作等など
竹に関して幅広く仕事をしております。
竹のことについてはお客様には
十分に満足していただける会社が集まった組合です。
どうぞ日本のシンボル「京の竹」を
ご活用下さることお願い致します。
組合員店舗MAP
地図上のピンをクリックしていただくと、各組合の詳細ページに飛びます。
組合概要
- 名称
- 京都竹材商業協同組合
- 設立
- 1954年(昭和29年)12月10日
- 事業内容
- 京銘竹生産・加工販売・竹製品製作販売・各種施工・プラ竹施工販売
- 住所
- 京都市山科区川田清水焼団地町7番地1
- TEL
- 090-8570-4239
- FAX
- 075-601-0983
組合沿革
京都竹材商業協同組合の歩みを紹介するには、まず前身である京都竹商組合から触れなければならない。
明治末期、京都市内の竹材販売業者により、主として相互の親睦を目的に「京都竹商組合」が設立され、
初代組合長の本田氏より5代の組合長を経て、大正・昭和と通過した。
昭和12年、日中戦争の勃発は戦線の拡大と共に長期消耗戦の様相を帯び各方面に統制の動きが現れた。
組合も昭和16年12月、組合員の地区を京都府一円とする「京都竹材商業組合」に改組、
初代理事長に利田喜代蔵氏が就任した。当時組合員160名余の大世帯になった。
昭和16年、太平洋戦争に突入後、物資の不足がようやく表面化しインフレの兆しが見え始め、
軍需生産拡充に膨大な財政資金が投入される一方で、
経済のあらゆる分野に統制の網が張り巡らされた竹材業界も戦時統制の嵐に巻き込まれ、
国家的要請にもとづき「京都府竹材統制組合」に改組し、戦争遂行の努力犠牲を余儀なくされた、
初代理事長には中野時太郎氏が就任、事務所を室町二条上ルに設置し、運営の目的は、
①生産販売の自主規制、②価格統制を実施することであった。
終戦により、同組合は組合員の総意により解散した。
しかしながら戦後の物価上昇が甚だしく、業者間の連絡および親睦は愁眉の急務となり、
ここに利田・谷村・中川の各氏が相図り同業者の賛意を得て、
昭和21年5月「京都竹材商組合」が発足し利田氏が初代組合長に就任した。
京都市一円の業者より親睦の向上を図り業務用の諸物資配給と金融斡旋を主たる業務とし、
併せて徒弟の養成のため、勤続従業員の表彰を行い組合の反映に努力し、
いずれの業界にも見られる統制時代の組合に対する不信の払拭に努め協同組合誕生の素地を築いた。
朝鮮動乱後の経済界の変動は、特需ブームの終息と共に反動期に入り、
景気は暗転さらに風水害の天災が相次ぎ深刻な不況となり、
デフレ政策とも相まってそのしわ寄せは資本的に弱い中小零細企業の上に重圧を加える結果となった。
そして大企業と中小零細企業の格差がますます拡大し、
将来零細企業が独力で発展するためには極めて困難なことが金融・購買・販売あらゆる面に予見された。
その対策上、「京都竹材商組合」を発展的に解消し、
昭和29年12月10日に「京都竹材商業協同組合」を創立させた。
初代理事長に谷村貞造氏が就任して26名で組織し、
他府県に先駆けて業界発展の切り札として発足した。
商品の共同購入・共同販売・銘竹竹製品展示品評会開催・転貸融資事業・健康保険の加入・
従業員の育成・市売事業の充実・親睦行事による輪の広がり・技能検定の実施等
各種行事を等して組合の発展を図ってきました。
組合もその時代時代で、考え変貌してきたのが、その歴史を見てもわかります。
これからも一生懸命時代と向き合っていきたいと思っています。
明治末期、京都市内の竹材販売業者により、主として相互の親睦を目的に「京都竹商組合」が設立され、
初代組合長の本田氏より5代の組合長を経て、大正・昭和と通過した。
昭和12年、日中戦争の勃発は戦線の拡大と共に長期消耗戦の様相を帯び各方面に統制の動きが現れた。
組合も昭和16年12月、組合員の地区を京都府一円とする「京都竹材商業組合」に改組、
初代理事長に利田喜代蔵氏が就任した。当時組合員160名余の大世帯になった。
昭和16年、太平洋戦争に突入後、物資の不足がようやく表面化しインフレの兆しが見え始め、
軍需生産拡充に膨大な財政資金が投入される一方で、
経済のあらゆる分野に統制の網が張り巡らされた竹材業界も戦時統制の嵐に巻き込まれ、
国家的要請にもとづき「京都府竹材統制組合」に改組し、戦争遂行の努力犠牲を余儀なくされた、
初代理事長には中野時太郎氏が就任、事務所を室町二条上ルに設置し、運営の目的は、
①生産販売の自主規制、②価格統制を実施することであった。
終戦により、同組合は組合員の総意により解散した。
しかしながら戦後の物価上昇が甚だしく、業者間の連絡および親睦は愁眉の急務となり、
ここに利田・谷村・中川の各氏が相図り同業者の賛意を得て、
昭和21年5月「京都竹材商組合」が発足し利田氏が初代組合長に就任した。
京都市一円の業者より親睦の向上を図り業務用の諸物資配給と金融斡旋を主たる業務とし、
併せて徒弟の養成のため、勤続従業員の表彰を行い組合の反映に努力し、
いずれの業界にも見られる統制時代の組合に対する不信の払拭に努め協同組合誕生の素地を築いた。
朝鮮動乱後の経済界の変動は、特需ブームの終息と共に反動期に入り、
景気は暗転さらに風水害の天災が相次ぎ深刻な不況となり、
デフレ政策とも相まってそのしわ寄せは資本的に弱い中小零細企業の上に重圧を加える結果となった。
そして大企業と中小零細企業の格差がますます拡大し、
将来零細企業が独力で発展するためには極めて困難なことが金融・購買・販売あらゆる面に予見された。
その対策上、「京都竹材商組合」を発展的に解消し、
昭和29年12月10日に「京都竹材商業協同組合」を創立させた。
初代理事長に谷村貞造氏が就任して26名で組織し、
他府県に先駆けて業界発展の切り札として発足した。
商品の共同購入・共同販売・銘竹竹製品展示品評会開催・転貸融資事業・健康保険の加入・
従業員の育成・市売事業の充実・親睦行事による輪の広がり・技能検定の実施等
各種行事を等して組合の発展を図ってきました。
組合もその時代時代で、考え変貌してきたのが、その歴史を見てもわかります。
これからも一生懸命時代と向き合っていきたいと思っています。
お問い合わせ
右記連絡先まで
お気軽にご連絡ください
chikuzaikumiai@gmail.com
090-8570-4239
電話受付時間:10時〜17時
事務局
〒612-8354 京都市伏見区西町400
分銅 文雄
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京銘竹は京もの指定工芸品です